相鉄線・二俣川駅南口から歩くこと約15分。
駅前のにぎわいを抜け、坂道をのんびり進んでいくと、街の景色は少しずつ落ち着いた雰囲気に変わっていきます。
日常の延長にある何気ない道のりですが、「万騎が原」という地名にも、実はこの土地の歴史が刻まれています。
今回は二俣川駅からお散歩を楽しみながら、鎌倉時代の武将・畠山重忠ゆかりの「畠山重忠公遺烈碑」を訪ねてみましょう。
二俣川駅から昔ながらの商店街へ
二俣川駅前はすっかり新しくなり、ジョイナステラス二俣川には飲食店やショップが並び、休日には家族連れや学生さんなどでにぎわっています。
昔から二俣川を知っている人ほど、「こんなに変わったんだなあ」と感じるかもしれません。

そんな相鉄線二俣川駅南口からスタート。
こども自然公園へ続く坂道をゆっくりと登っていくと、駅前とは少し違った街の表情が見えてきます。

大型商業施設が並ぶ駅前のにぎやかな景色から、昔ながらの個人商店が並ぶ万騎が原中央商店街へ。
商店街の交差点を右に曲がり、下り坂が始まる手前に、今回の目的地「畠山重忠公遺烈碑」があります。
約800年前 この地で起きた「二俣川の合戦」
畠山重忠は、鎌倉幕府が成立したころに活躍した有力御家人の一人です。
武勇に優れていただけでなく、知勇を兼ね備え、人格清廉な武将であったと伝えられています。
そんな重忠ですが、幕府内の権力争いに巻き込まれ、元久2年(1205年)、現在の旭区鶴ヶ峰付近で北条方の大軍と戦い、最期を迎えました。
「二俣川の合戦」と呼ばれる戦いです。

現在の穏やかな街並みを歩いていると、ここが800年以上も前の戦いにゆかりのある土地だとは、なかなか想像できません。
ところが、その記憶は今も地名に残っています。
この辺りは、かつて「牧が原」と呼ばれていたそうです。
そこへ重忠を討つためにやってきた北条勢が数万騎もの陣を構えたことから、「万騎が原」と呼ばれるようになったと伝えられています。
普段何気なく目にしている「万騎が原」という地名。
由来を知ってから歩いてみると、いつもの街が少し違って見えてきますね。
明治時代に建てられた「畠山重忠公遺烈碑」

万騎が原団地の一角には、大きな石碑が静かに立っています。
これが「畠山重忠公遺烈碑」です。
遺烈碑が建立されたのは、重忠が亡くなってから約700年後の明治25年(1892年)。地元の有志57人によって建てられました。
800年以上前にこの地で最期を迎えた武将のことを、明治の人々も忘れずに語り継いでいたのですね。
駅前から歩いてきた道のりとは打って変わって、石碑の周辺はとても静か。
木々に囲まれた小さな空間に立つ大きな石碑を見上げていると、ここだけ時間がゆっくり流れているようにも感じられます。
歴史のでき事を本やテレビで知るのとは、また少し違うもの。
実際にその土地を歩き、同じ場所に立ってみると、800年前のでき事がぐっと身近に感じられるから不思議です。
道標や地蔵尊にも目を向けて
遺烈碑を訪れたら、その周辺にも少し目を向けてみてください。

近くには地蔵尊や庚申塔なども残され、昔からこの地域で暮らしてきた人々の営みを感じることができます。

大きな観光地を巡るのとは違い、こうした小さな史跡を探しながらのんびり歩けるのも、街歩きの楽しさのひとつ。
「あれは何だろう?」と立ち止まってみると、思いがけない発見があるかもしれません。
お散歩がてら旭区の身近な歴史スポットへ

旭区には「畠山重忠公遺烈碑」のほかにも、鶴ヶ峰駅周辺まで足をのばせば、「畠山重忠公碑」や「首塚」など、重忠ゆかりの史跡がいくつも残されています。
歴史好きの方はもちろん、「今日はちょっと違うところを歩いてみようかな」という方にもおすすめです。
二俣川駅から遺烈碑までは徒歩で約15分。
駅前でのお買い物やランチとあわせて、気軽に立ち寄れるのもうれしいですね。
新しく便利になった二俣川駅前から少し歩くだけで、昔ながらの商店街があり、その先には800年以上前につながる歴史が残っている。
そんな新旧の街の表情を一度に楽しめるのも、二俣川・万騎が原エリアの魅力ではないでしょうか。
お天気の良い休日には、二俣川駅南口からのんびり歩いて、身近な歴史を訪ねてみませんか?
畠山重忠公遺烈碑
住所:神奈川県横浜市旭区万騎が原104
アクセス:相鉄線「二俣川駅」から徒歩約15分、相鉄いずみ野線「南万騎が原駅」から徒歩約20分

















